日本代表にも選ばれているGK権田修一(ごんだしゅういち)選手の奥さんはTVに出ると、ネットなどで話題になるくらいカワイイって知っていましたか?やべっちFCなどの番組にも出ていましたのでサッカーファンなら知っているかもしれませんね。
権田修一選手の奥さん権田裕美(ごんだひろみ)(旧姓・篠田裕美(しのだひろみ))さんは一児の母であるだけでなく多彩な方で、ネイルアーティスト、ヨガインストラクターや薬膳コーディネーター、などの肩書きを持ち、アスリート飯をインスタやツイッターで載せている方みたいです。
一部ではウザい、勘違い、などと言われることがあるようですが?どうなんでしょうか?今回は権田修一選手の奥さんや気になる年俸について調べてみました!
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権田修一(ごんだしゅういち)選手の嫁はインスタでサバンナ高橋と仲がいい?ツイッターもやってるらしい?ポルティモネンセから清水エスパルスに期限付き移籍!
権田修一(ごんだしゅういち)選手の奥さん権田裕美(ごんだひろみ)(旧姓・篠田裕美(しのだひろみ))さん
権田修一(ごんだしゅういち)選手は、1989年生まれの30歳になる東京都世田谷区出身のプロサッカー選手、ポジションはGKです。
現所属チームはポルティモエンセというポルトガル1部リーグのチームです。日本代表にも選ばれており、テレビで見たことある方も多いのではないでしょうか?
現在は清水エスパルスに期限付き移籍が決まっています!
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権田修一(ごんだしゅういち)選手の顔がお笑い芸人サバンナの高橋さんに似ているため、権田選手を検索すると高橋さんがヒットします。
残念ながら、似ているだけで高橋さんとの交流はないようです。確かに似てますねw
権田修一(ごんだしゅういち)選手の嫁、権田裕美(ごんだゆみ)Yumi Gonda さんはインスタ(yumitaso57)やツイッター(@ymts20)で、普段の権田選手や仲間との食事、時にはスター選手とパシャリ、なんて写真を投稿しています。
インスタでは料理アカウントも持っていて一流アスリートの食事を垣間見ることができます。また、料理の作り方まで載せているので、自分でも同じアスリート飯が作れるのも嬉しいですよね。
また使っているネイルや化粧品も紹介しているので気になる方はチェックしてみてください。
インスタにはアメブロへのリンクも貼ってあり(https://ameblo.jp/yumitasoo)、テレビの出演依頼はコチラへという依頼フォームもあります。ちゃっかりしてます(笑)
こういった部分が同姓の女性からはウザイ、出たがり、などと揶揄されてしまう原因かも?サッカー選手の寿命は短いのでわたしはアリだと思うのですが。。。
権田修一(ごんだしゅういち)選手との馴れ初めは高校時代の後輩だった裕美さんに権田選手が一目ぼれして告白したらしいです。一途な感じはとても好感が持てますね。
元読者モデルでヨガインストラクター、薬膳コーディネーター、ヘルシービューティーアドバイザーなどの経歴からも健康に気を使っているというのはよくわかります。
実際のインスタで投稿された料理もとても美味しそうで、ノンオイルだったり、食物繊維やビタミン類などの記載もありどなたでも取り入れることができる健康食をアップしています。カワイイ+料理もできるなんて羨ましい限りです。
権田修一(ごんだしゅういち)選手は日本代表で背番号12のGKで身長は180センチ以上?
権田修一(ごんだしゅういち)選手は現在の日本代表でバリバリのレギュラーで背番号は12です。ロンドンオリンピックの際はU23日本代表の正GKとして君臨し、ベスト4という快進撃を支えました。
またザッケローニ監督時代には控えGKとしてブラジルW杯にもメンバー入りしています。
出身は東京都世田谷区で、両親がバスケットボールのプレイヤーという環境で育ちました。母親の勧めでサッカーを始め、U15のFC東京下部組織に入り、各年代別の代表メンバーにも選ばれていたので小さいころからエリート街道を走ってきた選手だと言えます。
2007年には平成初のFC東京プロGKとして登録されておりこの時はまだ国士館高校だった事実からそのレベルの高さがうかがえます。
高校生でプロなんてそりゃかわいいお嫁さんも惚れるわ!と嫉妬してしまいますw
2009年には開幕スタメンを勝ち取るくらい成長し、200試合以上FC東京では出場する主力として活躍、フル代表まで上り詰め、2014年には高いセーブ率を誇るFC東京の守護神となります。しかし2015年に大きな選手生命のピンチが訪れることに。
それは日本代表のアジア予選中に起こりました。絶好調にも関わらず日本代表ではベンチ外となったことで「上り詰めるための方法がわからなくなった」とメンタル面で不安定になり、所属チームに帰っても監督と口論、オーバートレーニング症候群と診断されプレーできない期間が約半年続くことに。。。
そこで手を差し伸べたのが日本代表のチームメイト本田圭祐選手でした。彼はオーストリア3部チームFCホルンの経営に携わっており、権田選手をレンタルで獲得し欧州の高いレベルで経験を積むことを提案したのです。
以前から海外のチームへの練習参加などを積極的におこなってきた海外志向の強い権田には素晴らしいオファーだったと思います。実際ホルンに所属して「3部チームなのに皆メチャクチャうまい。J1でどこに行っても先発で通用する」というレベルの違いに刺激を受けて徐々に立ち直っていきます。
権田修一(ごんだしゅういち)選手は身長187cm体重90kgという日本人としては高い部類に入りますが、サッカーの先進国、欧州では2メートル近いGKもゴロゴロおり、足元のプレーやフィードもうまいというハイレベルな競争が繰り広げられています。
現代サッカーではGKの役割も大きく変わりつつあり、ビルドアップの際にセンターバックとして普通にプレーできるだけでなく、攻撃の最初の起点になったり、決定機につながるような精度のキックも求められています。
どんどんプレーする時間と空間が減ってきている現代サッカーでは比較的時間のあるDFやGKのキックの精度で試合が決まることも珍しくありません。
権田修一(ごんだしゅういち)選手はどちらかというと読みや判断力、反射神経が優れているGKだと思いますのでそれを長所に、足元の技術も向上させてポルトガルでも成功してほしいですね。
権田修一(ごんだしゅういち)選手はポルトガルのポルティモエンセというプロチームで出場してる?所属チームの年俸はいくらくらい?
権田修一(ごんだしゅういち)選手は、2019年の1月にサガン鳥栖からポルトガルのポルティモエンセに移籍しました。
年俸はおよそ3500万円くらいらしいです。ポルティモエンセといえば現FCポルト所属の日本代表、中島翔哉選手が大活躍したことで有名になりました。
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中島選手が活躍したおかげで、安西幸輝選手や前田大然選手、権田選手と日本人の軽いブームが起きています。ポルトガルリーグは日本人にとっても欧州最初のステップとしてはとてもいいのではないでしょうか?
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プレミアリーグやセリエA、ブンデスリーガ、リーガエスパニョーラ、リーグアンといった欧州5大リーグよりも少し下のランクですが、レベルは高く、志向するサッカーもボールを繋ぎ、個人技を大事にする日本人に合っていると思います。
GKの海外進出はハードルが高いと言われます。なぜなら後方からの指示出しはGKが担うため、まず言語ができなければ話になりません。その時点でハンデになり、日本人であるという珍しさも手伝ってか?なかなか活躍する日本人GKは出て来てません。
権田選手もポルティモエンセでは今シーズン出場機会が0となっており、これからの活躍に期待したいところです。
権田修一(ごんだしゅういち)選手は病気と闘っている?オーバートレーニングらしい?なぜ?なるのか?引退も考えた壮絶な闘病からの復活
権田修一(ごんだしゅういち)選手は2015年FC東京に所属していた際にオーバートレーニング症候群を発症して約半年ほどまともにプレーできなかったことがあります。
オーバートレーニング症候群とはスポーツ活動によって生じた生理的な疲労、精神的な疲労が回復しないまま積み重なり、常に疲労が重なり慢性化する状態です。
大きな負荷をかけると同時に、疲労回復に必要な栄養や休養が十分でない場合に起こりやすいと言われています。
2010年W杯で活躍した大久保嘉人選手も大会後にオーバートレーニング症候群を発症したことがあり、アスリートにとってはケガでもないのにいつ治るかわからず、トレーニングすらできない恐ろしい病です。
権田修一(ごんだしゅういち)選手は中学一年生からFC東京の下部組織に所属していて、責任感が強く、一人でなんとかしようと抱えてしまう性格の持ち主。
「東京を優勝させてから海外へ行く」とサポーターに誓い、サポーターも権田選手を熱く応援していました。それがいつの間にか大きなプレッシャーとしてのし掛かり、自分を追い込む日々が続いたのでしょうか。。。
2015年7月29日、ベガルタ仙台戦の後オーバートレーニング症候群という形で顕在化してしまいます。優勝どころか、プレーも、トレーニングもできないため、一時は引退まで考えた権田選手。
そんな状態を救ったのは、一番身近にいる裕美夫人でした。心身ともに疲弊しきった彼のために献立を考え、献身的に支えたのです。権田選手を救った献立は評判を呼び、彼女の美貌も手伝ってかなりのフォロワーを獲得するようになっています。
今では日本代表にも返り咲き、レギュラーに定着した権田選手、復活の影には裕美夫人のアスリート飯があったんですね。
権田修一(ごんだしゅういち)選手には弟がいるらしい、同じスポーツやってる?
権田選手には弟がいるらしいのですが、同じスポーツをやっているのか?と思いきや、やっていたのはバスケットボールでした。残念。弟の権田隆人さんはBリーグにも所属していたようです。
そもそも権田選手の両親がバスケットボールの選手だったらしいので、サラブレッドに近い感じがしますね。ゴール前での飛び出し、反射神経なんかはDNAが大きいように感じます。昔、弟が出れない試合に兄の修一選手が代わりに出た?なんて逸話もありますのでバスケットボールをやっていても一流の選手になったんじゃないですかねえ?DNAは引き継がれます。
権田選手には一人息子がおり、アスリートフードで育ったお子さんが将来大きな舞台に立っているかも?しれませんね。これからも権田ファミリーから目が離せません!